ニューヨークの素敵なレストラン・・・その2
エッコ
ECCO
124ChambersStreet
atChurchStreet
227-7074
近所とこのレストランには何の共通性もありません。
あまりきれいとはいえない通りを抜けていくと、それはすばらしいエッコが待ち受けています。
高い天井、木彫のパネル。
エッチング・ガラスのドアから入ったとたん、別世界のよう。
お料理もさすが、といったところ。
よく必見のスポットと言われているため、隅っこのテーブルを頼むといいでしょう。
エッコ
ECCO
124ChambersStreet
atChurchStreet
227-7074
近所とこのレストランには何の共通性もありません。
あまりきれいとはいえない通りを抜けていくと、それはすばらしいエッコが待ち受けています。
高い天井、木彫のパネル。
エッチング・ガラスのドアから入ったとたん、別世界のよう。
お料理もさすが、といったところ。
よく必見のスポットと言われているため、隅っこのテーブルを頼むといいでしょう。
今日は、アメリカ・ニューヨークのレストランをチラッとご紹介します!
チェルシー・プレイス
CHELSEAPLACE
147EighthAvenue
between18th&19thStreets
924-8413
チェルシー・プレイスのセッティングにはロマンティックなバイブレーションがわきおこります。
正面はショーケースのロマンティックなお店で、背後の壁がレストランへの秘密の入口。
最初の部屋はにぎやかなポップ・ミュージックのライヴとダンス・バー。
メイン・ダイニング・ルームへ行くのに、このバーの人込みを抜けていかなくちゃいけません。
でもそれだけの価値はあります。
エレガントで温かな雰囲気、その上一年中アヒルのいる池の側に座れるのです。
大きな絵窓が、アヒルの泳ぐ小さく素朴な庭を見下ろしています。
もうひとつ、彫像や彫刻の並ぶガラス張りの部屋が、裏にあります。
全体が美しく、愛を分かち合うためにあるよう。
料理もイタリア料理として最高です。
2階はダイニング・ルームで、暖炉があり、ガラス張りのロック&ツリー・ガーデンがあります。
毎週水曜から土曜までジャズとブロードゥェイ・ミュージックをやっているアレックス・ルームも、食前食後のドリンクにいい所。
あなた方ふたりが一晩中楽しめる場所であること、まちがいなしです。
同じ時期に、隣のイスパニョーラ島西部のフランス領サン=ドマングがハイチとして独立しました。
その後は、王政や帝政への移行を繰り返して迷走し、酷い混乱状態だったようです。
こうして様々な事情が積み重なり、砂糖プランターだったクリオーリョ支配層はこの時期には独立を望まなくなっていました。
その後サン・ドマングから逃げてきたフランス人農園主の技術が導入されて、キューバでも大規模な奴隷制砂糖プランテーションが発達します。
そしてキューバは1840年代には、世界最大の砂糖生産地となりました。
また、それまでスペインの専売だった葉巻の販売が自由化されると、砂糖に加えて葉巻の通商でも富を得るようになります。
しかし同時に、1830年代からスペインの支配者が次第に抑圧的になります。
それによってキューバ国内の入植者の間では次第に独立の気運が高まっていきました。
一時はキューバのアメリカ合衆国編入を目指す運動も起きたほどです。
スペイン人によるキューバの植民地化は、同時に砂糖産業と奴隷貿易を盛んにしました。
インディオの悲劇とは別に、キューバはスペインと中南米の中継地点として著しい発展を遂げます。
メキシコ市やリマに続く、「スペイン領アメリカ植民地第三の都市」としてとして発展したハバナには、大学や要塞が次々と建設されました。
19世紀初めになると、シモン・ボリーバルやホセ・デ・サン=マルティン、ミゲル・イダルゴらの活躍によって大陸部のスペイン植民地は既に独立していました。
しかし、キューバではそのように新たに独立した国から旧王党派が亡命し、スペイン本国はフィリピン、プエルトリコなどと共に、僅かに残った最後の植民地キューバを決して手放すまいとして、駐キューバスペイン軍を強化していきます。
キューバには、スペインの植民地だった時代がありました。
1492年10月27日、キューバ島はクリストバル・コロンの第一次航海で、ヨーロッパ人に発見されます。ここからスペイン人による征服が始まりました。
キューバの住民は、インドに到達したと思っていたコロンによって「インディオ」(インド人)と呼ばれました。インディオ達は、スペイン人に支配されたイスパニョーラ島から逃れてきたアトゥエイに指導されて、スペイン人への抵抗を続けます。しかし、1511年スペインのベラスケスが率いる遠征隊によって征服されてしまいました・・・。
その後も散発的な抵抗をが続けましたが、植民地化が進むにつれてスペイン人による虐殺、虐待や強制労働、疫病によって、ほとんどのインディオ達は亡くなってしまったそうです。
最近はキューバでも、生活に余裕のある家などでクリスマスツリーを飾っているのを見かけるようになったそうです。
街のイルミネーションはあまりないそうで、キューバでのクリスマスは厳かに過ごす感じのようですね。

友人同士で集まって小さなフィエスタを開いたり、プレゼント交換などもするそうです。
もちろんクリスマスといえば七面鳥。いつもより豪華な食事を食べます。
どちらかというとクリスマスよりも年越しを盛大に祝うそうですね。
日本と一緒です。
大晦日から親戚や家族、友人などが集まって、新しい歳を迎えるためにみんなが服を新調するそうです。気合入ってますよね!
そして女性はおしゃれにおめかし。マニキュアもきちんと塗って、きれいな格好で新年を迎えます。
ヨーロッパ人がやってくる以前のキューバには、南アメリカのギアナ地方から海を
渡ってきたアラワク族系のタイノ族や、シボネイ族、カリブ族と呼ばれる先住民が住んでいました^^![]()
ほのぼの~と温厚な性格の先住民は、原始的ながらの生活。
それでも、平和な暮らしを続けていたのです![]()
![]()

キューバの国章は、盾、戴いたフリギア帽、片方を樫の枝に、もう片方を月桂樹に支えられています。
紋章はミゲル・デ・テウルベ・トロンによって決定され、1906年4月24日に採用!おめでとう!
盾は三つの部位に分けらます☆

キューバの国旗は、1902年5月20日に使われました。
1849年にスペイン統治からの色々なキューバ解放運動が振興した際に、ナルシソ・ロペスが詩人トロンから発案されたものを採用。

「キューバ南東部のコーヒー農園発祥地の景観」は、キューバの世界遺産の一つなんですっ。
キューバのサンティアーゴ・デ・クーバ州とグアンタナモ州にある、81475haの土地に、171のコーヒー・プランテーションの遺跡があるんですよ~。
シエラ・マエストラ一帯は、気候はハイチと似ていても、鬱蒼とした森林が茂っていた分、開墾には多くの困難がありました。大変だったんです。
しかし、苦労しつつも次々とプランテーション経営が始まっていきました!
そして・・19世紀には多くの農園が作られたのですが、ハイチ伝来の伝統的手法に頼る経営は、その頃コーヒー栽培が始まったブラジルなどの南米大陸諸国の新しい手法との競争には不利だったんですよね・・・。競争となると、難しいものがありますよね・・。
その結果、キューバでのコーヒープランテーションは漸次衰退していきました・・。
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