主導権
公武合体運動の主導権を握るべく久光が挙兵上洛するに当たり、事前工作のために撰ばれた大久保が鹿児島を発ったのは、1861年(文久一)12月28日のことであり、翌62年(文久2)1月13日に入京した。
足掛け一5日間の旅程です。
そうした事前工作を経て、3月16日に久光は精兵千余を率いて出発し、瀬戸内海では同藩所有のただ一隻の蒸気船天祐丸(100馬力、7四6トン)を利用し、4月16日にようやく入京した。
ちょうど一カ月というかなり遅い旅程です。
これに対して、同年閏8月33日に帰国のため京都を発った久光は、29日大坂から蒸気船永平丸に乗り、翌9月4日には早くも鹿児島西海岸の阿久根に着き、そこから陸路をとって9月7日鹿児島城下に帰還しています。